共有の何が問題なのか?

共有の何が問題なのか?

では、共有になると何が問題なのでしょうか。

最大の問題点は、原則として全員の合意が必要なことでしょう。

原則として、と言ったのは、他の共有者と意見が異なった場合、自分の共有持ち分だけを売却や処分ができるからです。

この行為に全員の合意は必要ありません。 完全な単独行為です。

ただ、もしその持ち分が性質の良くない部外者に移転したら、とんでもない状況になる恐れもあるのです。

そうでなかったとしても、そもそも全員の合意と言うのはなかなか難しいものなのです。

ただし、同じ共有でも親と子の場合には、親は子供に有利な事を考えてあげることも多いため、喜んで讓歩もしてくれるでしょう。

しかし、これが兄弟姉妹の場合、お互いに独身であればいざ知らず、それぞれに家庭があれば問題は複雑です。

まさに兄弟は他人の始まりとばかり、醜い争いのもとにもなってしまいます。

なぜ共有になってしまうのか?

なぜ共有になってしまうのか?

財産を分割するに当たり、積極的に共有にすることは少ないと思います。

あえて自分以外の人間との共有を望むことはないでしょう。

共有はいわば窮余の策として、仕方なくせざるを得なかった結果なのではないのでしょうか。

では、なぜ望まないのに共有になってしまうのでしょう。

共有は総ての権利と義務が、共有者全員で持ち分による平等になっている状態です。

これなら全員が不平や不満を言えないからでしょう。

言ってみれば、「とりあえず共有」にしておこうと言う安易な発想なのです。