平成期の不動産は外資に付度して米国流になります。
市場は透明になり、パブリック化し、日標着地点は不動産と金融との直結です。
1998年の米国流の金融はキャッシュフローが確実なものにしか融資しません。
当時米国景気は絶好調でした。
さぞ、オフィスビル建設ラッシュだろうと思いきや、ニューヨークのエンパイアステートビルの展望台、
そこからは建設用クレーンは2本しかありません。マンハッタンで5年間に建築されたオフィスビルはたったの1棟でした。
日本は空前の大不況。しかし、東京タワーの展望台からは30本を越える建設用クレーンを数えられまし た。
当時の米国は土地には融資が付きません。収益を生まない土地購入への融資はダメ。土地は自己資金を用意しても建築資金の融資はでません。
事前にテナントが決まり、建物完成後キャッシュフローが見えない限り融資不可(短期資金回収の分譲マンションは別)。
金融と結びつくのに必要なのは、年金基金等への説明責任が果たせるような透明性と物件のキャッシュフローでした。
それがパブリック化への条件です。
日本では1998年の特定資産流動化法(SPG法)。不動産をSPC経由でCMBS化して、金融と不動産と直結させます。
このCMBSの仕組みを知った時も足が震えました。
「米国はこんなスゴイ仕組みを発明する国か。とても太刀打ちできやしない。」
透明になった不動産なら証券化でき、金融市場から膨大な資金を引けます
(ただし、このMBSの仕組みの乱用が後のリーマン危機の元凶になります)。
日本の「証券化」は小口不動産でした。30億円の物件を1口1億円にバラし30人に販売。「1億円が小口」の時代。
そこに「パブリック」という発想などはなく、後の CMBSやREITでの本格証券化を通して私たちはそれを悟ります。
そして、2001年にREIT市場開設。個人の投資資金だけでなく、日銀までREIT買い。金融からREIT経由で不動産にお金が流れます。
金融市場の規模は不動産市場とケタ違い。年金等の資金を迎えるためにと不動産はパブリックなものへ成長しました。
もっともセル氏は「米国では第一級の物件が組み込まれているのに対し、日本ではそうでない。いい物件は三菱地所が保有している。」
(日経ヴェリタス2008.5.18)
第一級品はプライベートのまま。系列REITには二級品を。
金融資金が入りREITは次々物件買い。物件は一度REITに入ると市場に出ません。売り物件は消滅し、不動産は買いばかりに。
セル氏はあの時に
「REIT価格はその日の需給バランスを示しているだけで価値を示しているのではない。」
REITは不動産でなく金融だからです。
ニューヨークでのあの売り物件はバブル負債総額4,500億円で破綻した飛栄産業の都心ビル。
現在はREIT物件です。物件がプライベートからパブリックなものへ進化しました。